「有言実行」者のバカさ加減

 特に何か契機があったわけではないが、気に障る言葉なので、一回くらいこのような場があってもよいだろう。

 その気に障る言葉と言うのは「有言実行」である。

 私もプロのさらりまんなので、故事成句や古くからの言い回しをちょっと変えて、何かの標語とか、記憶しやすいようなことと関連付けがしばしば行われていることがあるのはわかっている。でも嫌いだ。
 この言葉のもとになったのは当然「不言実行」であるが、やっぱりその方がクールだと思う。私のつたない理解では、誰にも言わずに誰もがやらないこと、誰かがやるべきことを自ら行うこと、と解釈している。英語でよくある言い回し"Just do it!"とは対照的に"Just done it."てな感じか。「不言」なので、その行動の主体はその人であり、「不言実行」と思った時点で、その人の行いを称賛していることになる。

 私が「有言実行」なる言葉から連想することは「やらされ感」「目立ちたがり屋」「鼻につく優等生」「上から目線」「妬み」等々マイナスイメージのものが多い。
 まず、「有言」なる時点で既に他人に褒められることを担保(笑)し、言ったことをやれたら誰かから「褒められよう」と言う気が満々である。しかしその実態はどうだろう。とりあえず何かしらを「有言」した人は、目標を皆に宣言しているかのように思えるだろう。しかしこの言葉はその組織の運営者が手を抜く方便である。自らを馬として、その前に自らニンジンを吊るした状態と言える。例えば、私は営業職ではないけれど、営業職の人々はたぶんその期の始まりに目標売上〇〇円、などと目標を言わされ、運営者がその額に不満ならば幾らにしろ、とか言われて抵抗しながらも上積みするのだろう。
 そこまでして自分を追い込み、頑張って目標を達成したとき、「〇〇君は有言実行したな」と言われる瞬間は確かに称賛と受け取っても良いが、言っている奴が問題である。そう、上から目線であり、それを聞いた他人はその達成者を「妬む」んじゃないかなぁ、と想像する。もしかすると自分と同じ立場や、部下の人でそう言っている人も居るかも知れないけど、褒める前にその人を評価しているわけで、それこそ悪い意味での「上から目線」発言であることを自覚すべきである。
 目標を達成できなかったらどうなるか。「目標が高過ぎたんだよ」などと優しい言葉をかけてくれる人はいない。「口先ばっかりの奴だ」と言われる。マイナス評価になるわけだ。
 そう称賛?された人は、更なる高みを次の期には目標とし、更なる頑張りを続けるのだろうが、それは永遠に「終わらない」。頑張れば頑張るほど、あなたはその立場から動けなくなる。終われるのはたいてい、成績不振のレッテルを貼られてからである。イマドキ珍しくもないメンヘルコースになるポテンシャルをはらんでいる。
 誰かを上から目線で「有言実行」と褒めた人は、それができない人である。だから身内に目標達成者を増やすことで自らの能力を示す。全体の目標に達しなかったら自ら降格するか、引っ込めと言われるべき者である。その頑張り屋がたまたま伸びて偉くなれば、自分も偉くなるし、手放すわけがない。
 ま、そうやって組織運営はなされるものだけど、ビジネスの世界はとても重視されることだ。目標を達成できなければそれは株価低迷として現れる。いや、目標の高低すら関係ない。他より良いことが生き残りの条件だ。

 ここで私が思ったことをあなたがどのように受け止め、何かしらの際に話をして損害や不利を被っても私は責任持てないので念のため。