さようなら、コペン

 どんな愛車でも、いつかは手放さなければならない時が来る。


 L880Kコペンと言う軽自動車は、決してベストな選択とは言えないが、十六年を経ても尚、まるで珠のような輝きを維持していた。製造番号4桁のそれと別れたのはもう、去年の秋のことである。


 コペンは多少のオーバースピードでカーブに突っ込んでも、低い重心とブリヂストンの純正レグザのグリップに任せて「だから何?」と、涼しい顔で切り抜ける。左右のコーナーをまさに「クルクル」回る様は、だから車体が丸くなったかのようだった。また、今でも公道でアクセルの全域をいかした走りを学習できる唯一の車だと思う。アクセルと非力なエンジンのツキの合間をいかに減らすのか、中庸の速度域でどのように運転を組み立てるのかを常に考えていた。


 年に数回しか開けないけど、夏の夜のオープントップは爽快で、高級車のそれに比べると段ボールの箱で走っているようなものだが、レザーパックの内装は誰に見られても恥ずかしくない。自分のファッションセンスだけが残る問題だが、なに、赤い帽子の一つでも被っていればそれなりに格好はつく。

 

 欠点が目立つ車だった。

 カーブはロールもなくビシッと決まる一方で、地面の小さな凹凸にいちいちバタつく足回りはまさにガタピシ車であった。スポーツパックの足は極度に硬い。その後出たビルシュタインが少しうらやましかったが、カーブの踏ん張りと交換する気にはなれなかった。
 ATは知らないが、MTの伝達系は問題だらけだった。ギアの入りの悪さ、バックのギアは高すぎる。二速と三速の乖離。クラッチは明らかに偏心があり、クラッチ軸とクラッチ板の垂直が出ていない(と思う)。ペダルから伝わりにくい半クラ。ワイヤー式のハンドブレーキは坂道で自重を支えることができなかった。
 音楽を聴くことなんか諦めさせるエンジン音はそんなに気にならなかった。軽自動車最後のDOHC4気筒。ターボのウエストゲートバルブの開放音、そして吸気音。吸気と排気とコンピュータを少しいじった自覚があるので、それらの一切合切を腹に収め、やせ我慢していた。唯一スポーツカーと呼ぶのにためらいを感じるのはFFによりフロントに偏った重量配分である。こればかりはどうしようもない。回転の中心軸をクラッチ付近に立てるイメージで回るしかなかった。まあ、軽トラの4駆を移植する業者もいたけど、あれ以上重くしてどうする。ダッシュボードの根元を支点にシャーシが前後にブレるのはタワーバーのせいだったのかもしれない。
 たった二つしか席のないクーペに問題はなかったか。全くない。可搬物の量的には十分である。トランクに格納する屋根が無ければ20Lの灯油缶も二つは余裕。家族はふたり。不足は何もない。2シーターの軽では最大の積載量だったと思う。

 手放した今となっては、あらゆる改造は無為に見える。でも今の私の運転技術はそれらを元に形成されている。

 

 さようなら、コペン。楽しい車だったよ。そして助かった。