バイクに乗るために買うバイク

今日は平戸大橋のたもとまで行って戻ってきた。本土最西端と称する地は長崎県佐世保市にあるが、この橋ができたので、それは平戸市に移ったことになるのだろうか。まあ、本州の方からすればそれは山口県下関市であり、空しい物言いである。

気候が穏やかになってきたせいか、すれ違う大型バイクも増えてきた。原チャリツアーの女子達(いつの時代もなぜか茶髪の三人組だ)も健在である。戻りは何とかライン(失礼。たくさんあって覚えてない)と言う広域農道を通ったが、きついカーブがなく、他の車も少なくてVmaxには好適な道路だった。

1700ccの排気量ですら、やはりミッション車であり、ちゃんとしたギアを選ばなければ気持ち良い走りはできない。この車体のインプレによく「どのギアからでも加速する」という評価を見かける。それは決して間違ってはいないのだが、加速の質が違う。私の場合、バイクとの一体感という点において、バイクの気持ちに思い入れる方が多いのかもしれない。無理なアクセルオンで不快な振動を発生する場合、何を感じるか。コンロッドの最も細い部分、すなわちピストンピン付近の痛みである。どんな大排気量車であろうとも、コンロッドの最小断面積付近の強度余裕が最も重要である。周知のようにエンジンの(潜在)出力はピストン周りの重量がグラム単位で利いている。気筒あたりの排気量が大きければコンロッドの痛みも当然大きくなる。この痛みを減らそうとすれば、高速で切り替えながら(同時爆発ではないので)疑似的に痛みを分散するしかない。必定、ある程度の回転数が必要である。

で、Vmaxで水平路面を走るとして、気持ちの悪くない回転数は最低2000rpm。街中ならば三速で制限速度に達してしまう。山坂道であれば、車重がある分、道の傾斜の影響が極端に出る。それに対処するのに最適なエンジンコントロールが追い付かず、今のところヘタれなライダーと呼ばれることに甘んじている。また、Vmaxでコーナーは怖い。基本的に曲がらないので一般のスポーツバイクより寝かさなければならない。体感45度(笑)を超えることも頻繁で、体重込みで400キロにもなろうその車体を後輪のエッジのグリップを信じて倒し込む。正しい速度であればステップを削ってもマフラーをこすっても立っていられるはずだ。でも現実はブラインドの複合カーブでブレーキかけてかっこワルーって自己嫌悪。次に必ず、って思ってしまうけど、絶対速度が遅いんだよね。まれにSSの方々と合流するけどスルーッと抜かれてしまう。

先週行った西彼杵半島の横断(山越え)ではそんな道が多く、何十もカーブを越え、とあるコーナーでオーバーになってしまって気づく。この車体で対向車とか人とかがいたら一体どれだけのダメージを負うだろうか。精神的に。
そういう事を考えてしまう自分を見ている自分がいて、ああ、お前も歳をとったな、とまた自己嫌悪。
ただ、Vmaxを駆っていると、どんなバイクとすれ違っても、それがイタ車でもハーレーでも良い意味で対抗意識が無い。改造マフラーでバリバリ言わせる小者なんて鼻で笑っている。そう言った意味の余裕は広がった。


これは私個人の思い込みかも知れないが、原付二種以上のバイクを購入される方々の理由の半分は、「バイクに乗るため」では無いだろうか。全く走行距離の伸びないVmaxを忸怩たる思いで眺めながら、私にとってこのバイクは、100%それが理由だと感じた。移動手段はほかに持っている。Vmaxは移動の手段ではなく、目的である。
少し話がそれるかも知れないが、先日YAMAHAのサイトでなんと言うか「男の旅」的な、クルーザー級バイクによる旅にまつわるエトセトラを盛り込んだ記事を読んだ。日本の二輪の世界でクルーザーと言えばアメリカンを指し、決して(流行りの?)やたら車高のあるデュアルパーパス車ではない。超弩級のクルーザーを選ぶ方々は人生の後半に入っていて、あと何年乗れる、と指を折った方々でもあろう。私の場合、その一般論へのささやかな抵抗の答えがVmaxだったに過ぎない。残念ながら(って思ってないけど)Vmaxはクルーザーではない。満タンから150kmくらいで汗をかいてスタンドを探すようなバイクは都市から離れることはできない。まあ、高速道路では燃料調達は何とかなるんで、近場の高速道で鬱憤を晴らすバイク、と呼んでもいい。

たぶん私は、壊れない限りVmaxに乗り続けると思う。いや、死に支度を始めるまでかな。でもVmaxを最後のバイクだとは思いたくない。きっとまだ早い。もっと楽しい乗り物もたくさんあるに違いない。