違法…

違法…

 と犬のお巡りさんとか、とある俳優がガラの悪い恰好で唱え続けるCMがある。
 テレビコンテンツのアップロードをやめさせようとするCMのことだ。俳優の方はおそらく「これは重要なことだ」と責任感をもって出演されたのだろうが、「あんたもつらいね」と同情を示しておこう。
 ソフトウェア業界に連なる者として、私の収入源も著作権である、と言える。独占権が無いのが作家先生とか音楽家の方々との違いである。

 この話を持ち出したのは、CMのできが悪いからだ。

 なぜアップロードは悪い事なのか。違法だから、で納得するほど人間と言うもののできは良くない。こんなCMで良しとする依頼主はかなり強権的だが無教養な人なのだろう。そんな奴に諭される人なんかいない。

 私も、著作権の重要性を本当に理解するまで長い年月を要した。今もまだ理解の過程、もしくは遅すぎた、とも言える。身の回りの何が著作権で守られているか、そのアップロードが誰にどれほどの損害を与え尊厳を侵害するのか、そして自分がもし奪われる側の立場になったらどう思うか、その想像力を養い、培うのがこの手のCMの社会的役割だと思う。「だから違法になっているのか」と気付かせることが最終目標ではないのか。
 このCMには少なからぬ公金が使われているだろう。一般企業のCMとは全く違うことを理解すべきだ。このCMがテレビコンテンツに限ったものなのかはわからないが、そんな縛りは意味不明、逆に理解され難くする。

 著作権を尊重する、と言うのは公私の境界を区別する一端である。それは各個人が生涯ずっと守り続けなくてはならないものだ。
 理解できても実践し続けるのはとても難しい。それは資本主義国家の生命線である。共産圏の方々が「人の物は俺の物」と思うのは理解できるが、おそらく「俺の物は人の物」と言い切る人は少ないだろう。著作権を唱えることは「俺の物は俺の物」よりも「人の物は人の物」を教えることである。国家のあり方なんかより、実はもっと根幹的なものではないだろうか。
 ぶっちゃけ、生涯を通して一度も著作権違反をしないで生きていくことはできない。図書館はグレーだし、友達にCDを貸したり借りたりすることも取り締まるのか/取り締まれるのか。でもだから違反して良い、ってことではない。著作権は常に意識し、社会悪にならぬよう、生き抜く術を磨くやすりのような存在である。(なんちゅう表現、自分でもびっくりだ。)

 これまでの私だったら昔は…、なんて話をし出すところだったが、今回は自重しよう。