VとWの間で

 たまにもらったスポットの休日。
 春先のこの時期は自動車やバイクの整備とか保険とかの満期が近くてあちこち電話をかけているとあっと言う間に夕方になる。
 家内は昼からのパートで不在。
 
 気晴らしにネットショッピングでもと思ってつづらマウスを握っていると、そう、今日はSt.バレンタインデーと非St.(笑え)ホワイトデーの合間だと気付く。

 まあ、下賎な商習慣と言ってしまえば気にもならないのだが、家内がくれた義理チョコに何かしらのお返しをすると言うのも、男子たるものの矜持の一つではないかと、ここ数年で思うようになってきた。見方を変えれば全くナンパな話だが、年に一度くらいは連れ合いに初めて会った日に思いを馳せても罰は当たるまい。
 とは言え、世間のことなど何も知らないので、あちらこちらのチラシを頼りに無難でつまらないものを探している気がしないでもない。
 
 身の丈でいこう
 
 コンビニのチョコレートに合わせるのはなく、要は気持ちではないだろうか。連れ添ってもう随分と経つ。ここで何かしら背伸びをしても滑稽である。言葉巧みな人であれば、全ての感謝を言葉にできよう。だが私のそれでは万葉の歌にも劣る無様を晒すだけである。
 
 WEBを斜めに見ていけば代表格は花である。しかし、中高生向け少女マンガのようなどぎつくピンクの花束は、やはりそれ贈る私に相応しくないと思う。
 次の代表格はケーキやクッキーと花のセットである。花は小型の飾りと言った風情が多い。まあ、チョコレートもあっと言う間に食べてしまうので食べ物も良いかと思うが、ケーキに気持ちを込めるのが送り主だとは思うまい。それはケーキをもらって嬉しいと思う気持ちの半分は食欲から来るものだからだ。
 後は衣料品や、貴金属か。それらは永久に形を残すが故に年に一度の意味が薄い。また、やはり所有欲などに由来する満足感が多少残るから渡す人の気持ちは掠れてしまうかも知れない。まあ、財力が余っている人なら贈った人を決して忘れられないものが贈れるだろうが、それが幾らだったと知れる家庭事情ではちょっと…難がある。
 自らの手作りで何かしらの物を送るのは素晴らしいと思う。だが、私にはそんな職人技も無いし、数粒のチョコレートにオーバーアクションな気がしないでもない。いや、物によるが。
 
 やはり、凡人は純粋に花である。花はそれ自体何の欲も満たさない。だからこそ、その送り手のことだけを考えてくれる(かも知れない)と信じたい。身の丈の花を探そう。
 
 
※この文章は、一介の朴念仁が一体どのような心境でホワイトデーに臨むかを実験的に記してみたものである。こんな内容は恥ずかしくて日常会話にも上らないけれど、この時期の独り相撲も知って欲しいと思ったのさ。笑われても構わないよ。