Be a (Good) Rider

●月△日
今日のホームコースの運転は荒かった。
強引な追い抜き、過度のスピード、雑なコーナリングで何度もコーナー中のブレーキを余儀なくされた。タペット音も乱れてトルクが乱高下し、バイク自身を痛めつけてしまった。
ただただ自分自身のコントロールができていない結果である。オートバイのコントロール以前の問題である。
今、事故を起こせば誰をも不幸に巻き込んでしまう。バイク自身も。

Vmaxを購入して半年は過ぎたが、「よくない慣れ」が出てきたことを自覚しよう。今の自分は弾丸だと思っている。見通しで直線が得られれば、そこに照準を合わせて右手をひねる。間髪入れずに自分を乗せた約400kgの弾丸が発射される。しかしそれは本物の弾丸と比べれば圧倒的に遅く、照準も定かではない。時間と言う厳然たる壁が存在し、そこには他者が入り込むすきが必ず存在する。
曲がりにくいオートバイであるが故に過剰に倒し気味でコーナーに入るまでは良いとして、その立て直しをアクセルオンによる遠心力の増加で補正するのも良くない癖が付き始めている。

たった三千、いや三千五百回転。V型のドコドコ感は薄れ、静かさすら感じる滑走/滑空が始まる。トルクの脈動を抑えて丁寧なシフトチェンジとアクセルの挿抜を組み合わせれば、シャフトドライブのバックラッシュすら気にならないライドが可能なのはわかっている。少しでも見通しの良い道があれば、それこそが求めるべき道である。
低重心のバイクはコーナーを狙ったバンク角をトレースして抜けるのは実は難しい。でも、それはこのバイクの一面であり、そこを乗りこなしてこそ高みに至るというものだ。


ただ、この「嫌な慣れ」の状態は経験上、すべてのバイクで通過するものだ。どんなバイクに乗っても同じような時期が来る。そこで自戒し、自らを律していけるか。それがライダーとそれ以外の分かれ目である。
バイクが楽しければいい。メーカーはそう言う。今の国内の惨状を考えれば無理の無いことだと思うし、乗る方だって入りやすい。。だがそれを鵜呑みにし、そこから先をどう過ごすかは、個人の問題である。

今一度、ヘルメットとジャケットに十字架を背負っている意味を噛み締める。



○月▲日

今日は比較的穏やかにライドできた。前回の反省に基づき、多少燃費の悪化には目をつぶってトルクに無理の無い回転数をキープするよう心掛けた。急なアクセルオンもできるだけ避け、無理な追い越しも(皆無ではないが)なるべく控えた。
その結果、数台の車の先行を許し、全般的に低速走行になったものの、破綻の無いコーナリングができたと思う。

今日試してみたのは、コーナー中の下半身による重心移動。Vmaxは基本リーンウィズのコーナリングが適していると思っているが、高速なコーナリング、急なコーナーでは車体重心が低いため頭部の振れ幅が大きく、特に連続コーナーではクイックな動作にハンドルを振るような力を要する。ならばリーンインで車体のロールを抑えれば良いはずだ。

昔乗っていた前傾タイプの車体では普通に行っていたが、単に横に腰を振るだけだと腰回りバケットのVmaxではシート上の横移動が抑制され、またシートの表面処理もそのような乗り方では引っ掛かりを感じる。そのため多少ステップ上に立つような動作で尻を浮かせて移動することになる。手早いのは頭部や肩からリーンすることだが、それはリーンインではない。セオリーでは頭部はタンク上に置いたまま、腰を扇形に移動するのが正しいリーンインで、扇形ならば腰回りバケットシートもあまり邪魔にならない。

やってみると瞬間的に膝に負担はかかるが、わずかな体重移動でもなかなか良好な結果が得られた。頭部が移動しないことで恐怖感も低減するし、コーナリング速度はシフト半分程度、落とさずに済む。今の段階ではそのような体重移動を心掛けるだけで精一杯。シフトの選択を誤ると台無しになるが、過度な移動は不要だし、習熟すれば何とかなるだろう。

このコーナリングを行うことで、自分が苦手なコーナーが明確になった。緩やかな右カーブ、バンピーな下りの後に急な左カーブが続く。バイクが跳ねるのはダンパーの利きを調整すれば多少抑えられるだろう。そうすれば恐怖感も減り、リーンウイズで右傾し、リーンインで左折できるかも知れない。

第三者から見ればリーンインはVmaxには似合わない、いやカッコ悪いコーナリングだと思う。しかしそれが安全で早ければ良いものなのだ。マスターする価値はある。

シートにどっかり跨って上体だけを前傾し、怒涛の加速を愉しむのは高速道路だけでよい。市街地では膝を締めて、遠くを眺め、急ブレーキを控え(Vmaxでは急ブレーキによる低速のふらつきが、最も立ちごけ?率が高いと思う)、端正なライダーを演じる(笑)。そして車が殆どいない山坂道、センターラインは白い破線、青空と白い雲、緑の中を抜ける尾根伝いの道こそが愉悦の極みである。

次は膝すりかな?その前にマフラーが削れるらしいけど。



バイクに乗り始めた頃ならこんな小難しいことは考えなかった。でも「ライダー」とか名前が付いた何かになると言うことは、その行動のすべてに理由を持つ言うことだ。事前にできないのであればせめて事後、自らの行動を振り返ることは何者かになるために必要な儀式である。