おいしくないプリンター(1)

 昔、まだ「ホームページ」なるものを維持するのに使命感を抱いていた頃、取り上げていたテーマの一つに「プリンタ破壊」と言うものがあった。いや、本来はそこに含まれているステッピングモータを入手するのが目的だったのだが、近くにジャンク屋が何軒かあり、狭い棚を奪うプリンタが一台百円から売られていたため、どうせならと言うことで年代順に片っ端から分解しまくっていた時代があったのである。

 プリンタは2.5自由度のロボットである…と簡単には言えないほど複雑な機械である。壊したプリンタの殆どはC社かE社のものだったが、正確な紙送りのための緻密で確実なローラー機構、プリントヘッドを使用可能な状態に保つための吸引機構、不使用時の固着を防ぐためのヘッドキャップと捨て吹き機構、紙を最適位置に押し当てるカム機構…それは機構学のお手本であり、何となく見ているだけでは気づかない創意工夫の塊である。この塊は数年をかけてゆっくり進化していた。まだdpiの臨界にほど遠かった頃、ノズルとドライバーばかりに金をかけていたのでは無い。外観は毎年違うが、動作に必要な部品類は極力新開発を廃し、内部構造はゆっくりと熟成されていた。すべては、コストダウンのために。それは技術面から見れば退化とも呼べる過程でもあった。セコいところでは基板をつなぐコネクタ類が半田付けに変わった。大きなところではヘッドユニットを左右に振るためのステッピングモータがDCモーターとリニアエンコーダ(と言えば聞こえは良いが、縦線を描いたプラスチックの細い帯)に取って代わられた。
 
 そしてプリンタは、本体の価格をインクカートリッジの価格で補おうとした、失敗したビジネスモデルでもある。これは技術者のせいではない。誤ったマーケティング、誤った営業、誤った経営者判断によるものである。このため消費者は数十円のカートリッジに数千円を払うことになり、憤懣やるかたない。本体のコスト計算には全く目を向けずに欧州や豪州の消費者団体は「エコじゃない」とか言って訴訟すら起こす始末である。これは今や殆どのインクカートリッジにマイクロチップが埋め込まれ、空のカートリッジにインクの再充填をできなくしたからである。私に言わせてみれば、インク補充の頭脳戦で負けた消費者団体が訴訟にすると言うバカ丸出しの様相である。しかしそのような要求があることはメーカ側も素直に受けとめ、高価なプリンタと安価なインクを組み合わせた耐久消費財も製品化すべきである。

 前置きが長くなった。
 
 この冬も年賀状の季節が来て、うちの親がプリンタを久しぶりに使おうとしたところ動かなかったので、新しいものを購入した。その動かなくなったプリンタはH社のもので、もう数年前のモデルである。下位機種であるが、以前私が壊した物らと異なるのはスキャナが内蔵された複合機になっていたことである。
 国内においてプリンタが複合機に進化する前、プリンタはまず「箱」に進化した。これにより表裏印刷が可能になった。その際は割と技術者を悩ませたと思う。内部構造が大きく変化する。紙送りを一から見直し、最小のスペースでどのように紙をハンドリングするか。ハガキにも写真用光沢紙にも、そしてCDにも対応しなければならないのである。もうその頃はCCDによる低画質ながらあまり電力を使わないスキャナが発売されていたので箱型の次にスキャナを内蔵するのは自然の流れ。プリンタの開発チームは夜も眠れない日々だったに違いない。
 
 壊れたのはどうやらプリンタ部ではなく、スキャナのセンサ、もしくは読み取りに用いる光源の不良のようである。しかし、このプリンタはカラーのキャリブレーションを自ら印刷する紙のスキャンによって行っていたのでちゃんとした発色ができないことが予想された。これが数十万の機械なら修理に出すところだが、既に代替機を購入していることもあり(それも9千円…)、久しぶりにブッコワス…いや、今回はちゃんと「分解する」ことにした。
 プリンタの分解は、それを組み立てたであろう工員さんと戦う頭脳ゲームである。「分解」するからには要求されれば再度組み立てが可能にならなければならない。(が、再度組み立てるつもりは全くない。)
 
 H社の個人向けプリンタ事業も古くからあるが、伝統的に印字ヘッドがインクタンクと一体化しているため、プリンタ内は比較的単純な構造である。先の吸引機構は無く、ヘッド周りのインクを「拭う」ためのゴムのへらが数本立っているだけなので、割とクリーンに分解可能である。
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 サイドのタッピングビス(いじりどめの無いトルクス)を数本外すと、トップのスキャナ部が自然と分解できた。壊れていたスキャナユニットはCCD式で、光源と一体形成されている。案の定、その部品はmade in chinaであり(プリンタ本体はマレーシア産)、ユニット交換しか修理の手段はなさそうである。
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 スキャナユニットの裏側には早速驚きがあった。そこには(懐かしい)マブチFA-130をコピーしたらしい異形のモーターが隠されていた。モーターの軸を駆動用ウォームギアと反対側の方に伸ばし、そこにエンコード用のスリット入りディスクが付いている。即ち、これでサーボモータを構成している。このような小さなモーターこそ安価に抑えたい、と言うところだろうが、制御用ファームウェアの作成は長期に渡り培ってきたものであるはずだ。
 
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 そしでここでいやな予感がした。そう、まともな形のステッピングモータ、もしくはサーボモータは一つも使われていないのではないかと。そしてそれは結局、現実だった。見方によってはサーボモータであるが、もはやドライブICも何も無い、「不味い」プリンタであった。
 
 プラスチックの造形は見事である。全てのギアがプラスチック製なのは当然として、必要な場所に手抜き無く必要な突起がモールドされる。細長いスキャナユニットを平行に移動させるのは、プラスチックモールドされたラック一本。できるだけバックラッシを無くし、おそらく重心近くをドライブして細長いスキャナ部品を平行に移動させる。こんなんでまあ、よくも高解像度が破綻しないものだと思う。ラック歯面の裏側がガイドレールである。ユニットにはガラス面を下から押さえて滑るローラーもある。サンドイッチによって初めて安定した走行が成立する絶妙の取り合いである。これは薄型の民生用スキャナをそのまま搭載したものである。
 
 外側のケースは少しはめ合いが作りこんであるが、容易に分解することができる。このタイプのプリンタは横置きしたままある程度は分解できるので作業は楽である。(裏側にもビスやプラスチック部品はあるが。)上から順にビスを外すとヘッドユニットがそのガイドレール(正確にはスベリ棒)ごと外れる。ガイドレースに沿うように薄いプラスチックテープが張ってあるが、これは上述の、縦線が高密度に描いてあるエンコーダシートである。このシートを左右から挟むようにヘッド上に光学センサが配置され、DCモータで駆動、そのフィードバックをマイコンで計算してサーボモータを形成しているのは、上のスキャナユニットと同じである。これで二個目のモーターもDCモータだったわけだ。

 印字ヘッドで感心したのはエンコーダシートを「掃く」ブラシがヘッドに付いていたこと。このシート上にホコリや汚れが付くとプロセッサはモーター故障として動作しなくなる。B社の業務用(だがインクジェット)複合機で一度経験したことがある。電話サポートの答えは「ティッシュで(そのエンコーダシートを)そっと拭いて下さい。」てなもので、見事に復活した。この部分は紙やインクの近くにあり、このようなブラシが必要だったのだろう。無駄にコストはかけていないはずだ。
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 また、印字ヘッドを左右に振るとそのケーブルもちゃんと処理してやらないと絡まったりして故障の原因になる。この手のプリンタではリボンケーブルを用いてその対策をしているが、このリボンが思うような曲率で曲がらなければ構造物に当たる所から摩耗したりする。このため、このプリンタでは柔らかいばねを用いてやさしくケーブルを押さえるようになっている。泣けるコストである。
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つづく(たぶん…)