イマドキ中古の原付なわけ

イメージ 1

2008/11/16 アプリリアRS50 My07 考証
 このところ週末に雨が続いている。ただでさえ小さいバッテリが心配なAprilia RS50である。このバイクの欠点、キックが無いこと…とあげつらうことはアバタモエクボなのか、と自己評価してそうじゃないと言える理由がある。

 今も何故自分がこのバイクを買うことに決めたのか考えている。

 最も大きな動機は「あせり」だと思う。今、限定なしの免許を持つ貧乏ライダーは-いや単に私だけの問題かも知れないが-「あせって」いる。右手を一ひねりすれば使い切れないパワーを取り出せるのが分かっていても、今、世界のバイクメーカーは「エコ」なる言葉にひれ伏して「自主規制」一辺倒になっているからだ。
 それは本当に「自主」規制なのか。フラッグシップの最高馬力は分かった。じゃあ、これから先もそれを進化させ、それ以上の馬力を提供してくれるのか。一体、他のバイクには何があるのか。古い設計図をそのまま第三国に渡して生産させ、それを輸入しているんじゃないのか。
 今やミニバンの時代である。貴重な化石燃料を湯水のごとく浪費して、積載能力の無いスポーツバイクは「趣味の乗り物」に分類される絶滅危惧種である。これから先、フルパワーを出し切れるバイクは金を払っても入手できなくなる。今は辛うじてサードパーティのパーツをつぎはぎすることでそれは可能だが、もうそろそろ、メーカーは「最高出力」を追うことをやめるだろう。

 今の私にSSは買えない。どかもびゅーえるもほんだもすずきも買えない。たぶん、これからそんなたくさんのバイクに乗る機会も無いだろうが、一生の乗り物を選択する前に絶滅しそうなのだ。

 その一方で、果てしない出力への欲求は、しかしどんな大金持ちでも世界最高の一台を手に入れることはできない。四輪を見れば明白なように、上を見ればきりが無い。性能も金額も。一般人は指をくわえて見るだけだ。しかも「趣味の物」とくれば「最高出力」は私個人のオートバイを選択する一基準に過ぎない。元々最高って判断する基準も自分の中にしかない。つまりは最高の一台とは「飽くことのない努力を注ぎ込むことができる対象」なのである。ではどう言う選択をするか。私の場合は(今のところ)「カテゴリ」で最高の一台、と言うことにしている。「趣味の乗り物」と言うカテゴリーではなく、法律で決められたカテゴリー。その結果の一つが四輪でCopenを選択した、と言えば少しわかってもらえるだろうか。私は軽自動車と言うカテゴリーの中ではCopenを最高の一台、と認識する人間だと言う事だ。

 じゃあ何故50ccのApriliaなのか。もう書くことはない。このカテゴリーは大型バイクへ至る一過程としての選択にしたいものだ。

 読んでしまった方にはくどくどとわかりにくい身勝手な文章で申し訳ない。私は誰よりも、私の行動を私自身に論理的に認識させたかっただけだと思う。
 家言「人に読まれることを期待しない文章はない」について少々修正が必要かな。

 今日、家内に引っ張られるようにして曇天の中、岬を巡ってきた(写真は前の物)。30kmちょっとの距離だったけれど、左肩が痛くなった。そう、上体の重量を腕で受けているから。もう少し慣れてくると、体に芯ができて、腕の力も抜けてくる。原付とは言えフルサイズの車体にもぐりこめない自分が情けない。でも今日はタイトなコーナーが続き、傾斜も急だったからなかなか勉強になる。トルクをコントロールすることの大切さを十分思い知った。相当昔乗っていた原付はホンダラクーン、空冷アメリカン50ccだったけど、こんなに乗りにくかったかな。
 一つは自分の体重と、車重が増えているせいもある。これを8000回転から12000回転まで、クロス気味のシフトを使って、か細いトルクを自在にコントロールしなければならない。
 ホント、面白い。でも凄まじい音になるからお巡りさんに睨まれた。今付いているレオビンチのV6は70cc対応品らしいから、なるべく早い時期にボアアップして小型登録しなくちゃ。