雇用保険被保険者になりましたが、翌日からの入社が決まりました

3/31/2008 (Mon) …のつもりだったんだけど、力尽きて投稿は4/1夜です。
 今回は割とネタがあるが、一日に書ける分量は限られているので、最後まで書き続けられるか自信がない。何せ明日は初出勤なので早めに寝なければ。書けなかった分はまた今度。
 私は前職を二月一杯でその職を退いたが、非常に嬉しいことに明日から再就職先への出勤できる。この忙しい時期を記録に残すためまずは淡々と三月中の活動内容を記そう。あなたの何かの参考になれば幸いだ。
 私の場合、県外への引越しが絡んだので、おおよそ次のようなスケジュールで事を運んだ。A県が旧職場に通っていた場所、B県が転出先の土地、としておこう。両県には千キロ以上の距離があることはこれまで記した通りである。既に記憶が曖昧になっている部分も多い。尚、ここに記すのは引越しと就職に関する活動であり、実際はこれ以外でも、例えば自動車やミニカーの住所変更手続きや、諸々の定期契約の住所移転手続きなどが十五件ほどあった。
(01) 3/1? 家を売るため、A県の不動産屋に依頼。但し、この時点で幸運にも近所の複数の方から購入希望の声が掛かっていた。
(02) 3/3 家を探すためB県に移動。安い借家(家賃五万円以内…無理)、雇用促進住宅を当たるも手続きに第三者の保証人などが必要などで乗る気がしない。また、アパート(マンション)の形態では、戸建だったA県に蓄積された荷物が入らない。運良く、近くの不動産屋のチラシで手頃な中古住宅を発見。すぐ様現地見学。団地で戸建の家がヒシメキ合っている所だが、二階から海側(北側)の眺めが良く、翌日購入を決心し、B県の不動産屋の仲介で3/24
(03) 3/6 A県に移動。
(04) 3/7? 銀行のローンセンターに唯一の負債である住宅金融公庫の残金一括支払いを申し込む。
※住宅金融公庫絡みの手続きは、銀行は代行をやってくれているだけなので、非常に時間がかかる。残金一括払いを申し込むと、その引き落とし日と、その後発行される債務抹消の委任状及び必要書類の受け取り可能日が告げられる。不動産を売る場合、大抵支払い完了日(家を売ったお金の全額が入る日)前までに残債の処理が要求されるが、これに必要な書類の発行までに三週間程度は余裕を見る必要がある。「思い立ったが吉日」、早め早めの手続きを心がけよう。
(05) 3/10 A県の住民票と印鑑証明を取得。少なくとも家を売るためには必要。他、何に必要になるかわからなかったので、私と家内単独、家族全員分のものを各二部ずつ取得した。
※私の場合、結果的にB県で住宅を取得することになったが、それまでにB県に転入しておく方が諸手続きが簡単なようで(ってのは司法書士の先生にやってもらうから)、このA県における住民票と印鑑証明の取得はかなり重要である。
(06) 3/13 退職して二週間ほどでもらえる「離職票」を持って、その地にあるはろわに求職を申し込む。この時点で、初回講習(雇用保険やはろわの機能、職業訓練についての案内など)が3/27に決定。まあ、この日までは求職活動について公的には何もしていないことになる。
(07) 3/14 「待機期間」が始まったが、前日はろわのホームページで探していた、私のUターン先の地にある企業の募集ページを印刷して窓口に再度出向き、就職相談をして紹介状を発行してもらう。その場で先方の会社と担当の方が連絡をとり、面接日が3/24に決定。因みにはろわに常設してあるパソコンではその地に求人を出す企業しか検索できない。Uターン先の企業がそこに求人を出している可能性はゼロ。この場合は上記のように自分でネット検索をし、その企業がはろわに求人をしていたら、窓口にページを見せてはろわの全国システムから求人票を引き出してもらう必要がある。
(08) 3/16 A県にて土地・家屋の売り契約。正確にはいつだったか忘れたが、不動産屋が近所の購入希望のお宅に伺い、この日以前に当方に契約日を決めてもらっていた。電話ベースでこの日は契約と手付金(百万円)の受け取りのみだったので、負債抹消書類は必要ない。契約書にその旨盛り込んであるはずだ。
(09) 3/17 残金受け取りを家内一人に委ねるため不動産屋の指定する司法書士の事務所まで行き、委任状手続きをする。つまり、この時点で買手の方の都合で三月内の支払い完了はできないことがわかっていた。
(10) 3/21 A県の居住地の転出手続き。B県の実家にバスで移動開始(深夜)
(11) 3/24 この日はきつかった。A県への転入手続き、住民票の取得、印鑑登録の申し込み。午後はB県の家の残金支払い。そしてはろわの紹介による会社を訪問。印鑑は登録のみだが(中古住宅の購入に実印は必要ない)、住民票はその後の追加分も合わせて四枚、家内のは二枚、両名記載のものは二枚を取得したことになる。これはかならずしもこの枚数が必要な訳ではない。銀行や運転免許の住所変更は見せるだけ(コピーを取るところもある)で、返却される場合が多い。
(12) 3/25 A県に引越し荷造りのためバスで戻り
(13) 3/26 新宿到着後、その近隣の銀行の住所変更を、B県の住民票を使って実施。B県の再就職先には都市銀行の支店は皆無だ。
(14) 3/27 B県に移動、一泊して3/29に到着。
(15) 3/30 B県の家に電話を通すための工事に立会い。ホームセンタで家の照明器具を購入。ついでにカーポートの屋根の見積もりを予約。
(16) 3/31 はろわで講習会。受給資格者証を受け取る。同日付で、明日(4/1)入社の採用通知受け取り。

 うーんきつい。後で実感したことだが、仕事が決まる前にUターンしてしまうのは不利だ。元々三月退社の四月入社を目論んでいたのだが、とんでもない。これをやったら引越し、転職とも計画倒れになった可能性も高い。家族にも過大な負荷を与えてしまうことになっただろう。前職にいた頃に三月退社よりも二月の方が良いよ、と教えて頂いた方に感謝するばかりである。私には一ヶ月の余裕があったが、それでも、転職前に体調を整え、運動と早寝をする習慣付けを行い…なんてことはできなかった。正直言えばあと一ヶ月程度は休みたいところである。

 よく、前職を退社して三ヶ月は失業保険をもらいながら旅行した、などと言う話を聞く。私の友達にも居た。今回自分が受給資格者になって思い知ったことだが、この国のシステム下でそんな「転職休暇」みたいなものをとるのは至難の業である。(元々自己都合退職では三ヶ月間、雇用保険の受給はされないが。)いや、就職先が無いのなら話はわかるが、そうでなくともそもそも国民に勤労者に対する休暇を与えるような社会制度になっていないのだ。勤労する意欲の有無にかかわらず、次の仕事を探し具体的なアクションの証拠を残さなければ例え何十年雇用保険料を納めていたとしても、この国では生きていけない。馬車馬のように鞭打たれるのは共産圏ともあまり変わらないんじゃないかな。逆に共産圏だと「頑張っても意味無い」ってだけ楽かも。日本では働く意欲の「証拠」を残さなければ雇用保険の受給は「不正受給」となり、三倍返し、詐欺罪と言う言葉で脅される。また、税務署は情け容赦なく前年の所得によって計算された所得税を課して来るのだろう(って実は雇用保険の受給中にもそれが来るのかよく知らない)。なるほど、雇用保険の受給額は前職の所得の何割、と言うように支払われるが、本来ならその人が失業に至るまでに支払った雇用保険料の総額と、かつて受給したことがある金額の差額をベースに計算しなければフェアとは言えないのでは無いだろうか。
 サラリーマンにとって雇用保険、健康保険、介護保険は姿を変えた税金である。それで税率を計算したら…米国に行きたくなる。

 もう少し突っ込んで考えてみる。
 「一般的に」学校の成績が良かった者は条件の良い就職先に就職し、高額な所得を得る。もちろん最近は実力社会だから学校の成績がいかに悪くても、働きが良ければ収入も増えるだろうが、その「良い働き」をせんがために、学生時代は勉学にいそしみ、やがて就くであろう仕事の素養を学ぶのである。しかし、この雇用保険と言う制度は、学生の頃やれ「ガリ勉」だ「先生のお気に入りだ」などと揶揄されながらもしのいできた者にとって、前記の「一般論」を覆す不公平な制度と言えるだろう。そこには純粋にジョブマッチングのシステムがあるだけで、学校での頑張りなんて少しも役にたたない。
 まあ、だから万一こんな駄文を読んでいる成績優秀の君、そんなに頑張らなくてもいいんだよ。学業よりも社会性だ。