I got a power. 遅れてきた「始まり」の道具

 やっと、安定化電源を入手した。

 これまでしょーもない手慰みの電子工作にはいつもそこここに散らばっているACアダプターを使ってきた。
 事実、ICを使った小型オーディオアンプでも携帯電話の充電器の出力があれば机上の小さなスピーカーを鳴らすのに全く問題は感じなかった。が、皮肉なことに電池で動くデジタルアンプが電圧低下に伴ってエフェクターと化し、トレモロ感を醸し出すのを聞いてからは電源の重要性に気づかされた。
 また、電子工作でステッピングモーターを使おうとして、高電圧だけど、入力幅のあるモーターに一体何ボルト与えれば十分なのか、その時何アンペア必要とするのかわからない時に、DCを入力とするスイッチング式の安い(\500くらい!)可変電圧電源を購入した。それに比較的大きめの16vACアダプターを繋いだところ、電源に付いているデジタル表示の電圧計が、その小数点以下一桁目がちらちらと安定しないのを見てから、安定化電源が欲しくなった。

 で、話は前世紀に遡る。
 マカーだった私が、PC用の電源ってお手軽に12vと5vが取れるじゃん、って気付いたのはWindows95が発売される一週間前にIBM-PC互換機を初めて購入してからである(それはもちろんMS-DOS+Windows3.1を取得するためだった)。OldMacの中を開いてHDDとかSIMMとか入れ替えはやってたけど、電源はそれほど独立し、コモディティ化されたパーツではなかった。Macintoshの修理本にはコンデンサの交換記事程度はあったけど。
 それに気付いたので、ずるずると、あれ、世の中にあるACアダプタなる代物は、普通に電源として使えるじゃん、ってことに気付き始めた。いや、殆どは7805のお世話になるので、せいぜいそれがドライブできる低電圧なものに限るんだけど。
 そして安定化電源を知るに至る。

 当時、貧弱な検索エンジンで真っ先に出てくる自作記事が電子マスカット氏のものだったと思う。今でもそのページはある。枯れたパーツを少量用いた安定化電源は一台持っておきたいものの一つと認識し、折ある毎に様々なところでパーツを集めていた。電子パーツはすぐに揃う。それまで蛇の目基板は多用していたが、氏のデザインはラグ板ペースで、裸線が剥き出し、損失に伴う発熱はケースに部品を密着させることで放熱すると言うものだ。だからケースは不可欠であり、そのケースを入手してからが長かった。電動ドリルやドレメルを持っていなかった当時は、部品はそろったけど停滞した。電動ドライバーを入手して初めてドリリングが可能になり、メーターの穴はドリルで縁に穴をあけてやすりで削ったものだ。その脇のネジ穴にはかなり気を遣った。
 氏のケースを含めた解説には、本来あるべきヒューズやスパークキラーがちゃんとあるし、部品の絶縁にもちゃんと使うべき部品も書いてある。交流の基本配線、と言うかケーシングかくあるべき、と言うのを知った。

 ただ、ケースのレイアウトが決まり、すべての穴加工が終わってまた停滞。どうにも配線に自信が無い。基板ならコネクタ、空中配線にはケーブルtoケーブルのコネクタと固定観念があった。
 結局のところ、特にそのような配線材は使わず、単純にはんだ付けで完成した。ただ、怖かったので太目の線を使ったせいでやたら糸はんだが吸い込まれていく。おまけに私が使っていたは20Wの半田ごて(あとで部品取り用に60Wを持っていたことに気付いた)で、溶着させるには普段信じられないほど長い時間部品の足を熱し続けた。
 それでもちゃんと物は動いた。10年以上前に購入したトランスも、メーターもすべて機能した。ただ、主要パーツであるLM350Tの足が劣化して(けっこう曲げ戻しをしたので?)折れ、今は手持ちのLM317Pで代用している。なので最大出力電流が半分の1.5Aだ。

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ピンボケはスマホカメラのせい、にしてしまおう

 世の中のラジカセが、ACアダプタを外出しにし始めたのは1980年代くらいだが、うちの母親がこんな大きな箱は以前のラジカセには無かった、とか言っていたのを、内蔵されていたのが小さく見せるために外に出てきただけだと返していたのを覚えている。しかし、音響機器の電源は今でも大きい。それにはそれなりの理由がある。

 まあ、オーディオは、修練を積んだ結果(笑)、今やヘッドフォンでは自分の頭蓋骨内の乱反射…つまるところ左右の耳の高さの違いに気付いてしまい、音源的にはそこらのデジタルアンプで十分と言うことで追究をする必要がなくなった。安い耳だが、まあ、それでいいか、と考えている。

 さて、次は何作ろうかな。