バイクを選ぶ幸せ

そう、そんなチャンスは人生でもめったに無い。
私の同居人は嫁さんだけだが、やはり大きなバイクを買うというわがまま(なのか?)に同意してくれるのは幸せなことである。

選択できる排気量とライダーの年齢は、奇異な例えだが二次曲線で立ち上がり、ピークでしばらく水平を保った後、上下逆の二次曲線で萎んでいく。しかし、ゼロ付近でなかなかゼロにならないかも知れない。そしてまた、乗車歴と比例し、資金力が比例する。無論タイミングもあるので離散的なグラフになるだろう。私の場合、それらのMAXが交錯する一瞬が今だと思う。少なくとも選択するだけならば、今その幅が最大限なのである。

  中古でもローンでも、異なるバイクを次々と乗り換えた方が人生を楽しんだと言えるのかも知れない。でもそれでも全てのバイクに乗ることは叶わない。昔、車を(と言ってもレンタカーだけど)毎月変えていたことがあったが、今では長く付き合いたいものを選びたいと思うようになっている。

「選択」はいつも大切だ。それは自由と力である。

公道を走る乗り物で、四輪以上のものは上を見ればきりが無い。でも二輪であればそこそこの品質を生み出す会社の、かなり上の方でも手に届く。だからみんなバイクに乗ろう!ってのは破たんしてる論理だが。

20代なら迷わず最凶、最速を選んだと思う。今の20代もそうあれと願う。しかし、私もここ数台、プラスチックで型取られたバイクの悲哀を経験してきているし、まあ「磨き」を愉しむ境地には至っていないが、そろそろ「割れない」バイクが欲しいと思う。割れちゃうバイクはモード服に似ている。モード服はいつも着れるものではないし、そろそろクラシックに回帰しても良いだろう。(モードもサブで欲しいけど。)

…正直に認めよう。そろそろバイクについては下り坂になってきている。レーサーレプリカで欲しがるのが最新型ではないなんて、その典型的な症状である。レプリカで最も美しいのは2007年型CBR1000RRだと思っている。(いや、2003年型から変わってない?)あのセンターアップマフラーがバイクのシンメトリーさを強調し(でも、左右非対称性のデザインも大好きである)、後輪まわりの美しさを引き出している。新車ならR1かRSV、と言える程度の色気は残っているが。

…とぐたぐた言って誰かに自分の考えを納得して欲しいのか?俺は。いや、その対象は俺自身だろう。
非商業目的の全ての発言は独り言である。

バイク屋にはよく顔を出す。
眺めるばかりで何も買わないのだけど、購入認可が下りてから一層楽しみが増している。
最近小型バイクは値段が上がり、中型は(見るものは少ないが)比較的安定している。大型バイクは中古と新車の差が激しい。大型の中古は狙い目である。100万の値札を安いと思えるのなら。

オーナーの意向なんだろうが、私のよく行くバイク屋は'80~'90年代のオンパレードである。確かに(特に中型で)あの時代の性能と品質を超えるバイクは無い。が、そのエンジンはボロボロである。特に黒色塗装してあるエンジンのフィンの角はかなり剥げてきているし、カウルのひび、ペイントのリタッチの跡、アルミの白錆。それでも四半世紀の時間を超えて訴えるものに耳を傾ける若いライダーは居る。ただし、全ての人の全ての選択に口を挟むことなかれ。いかなる工業製品にも、生まれてきた理由があるのだから。

今日新しく見たバイクで出色だったのは、マットブラックのYZF-R1、走行約4000km、100万円。全身全霊で買え、と言っていた。

そろそろ本気を出して翼を選ぼう。