いつもよい子じゃいられない

 いやー、昨日、今日と、とっても寒かった。みぞれ混じりの雪も降ったし、外気の中で頭脳労働はきつい。メタルカラーを気取るからには(ってそうだったのか>俺)やせ我慢も必要だけどね。

 東北関東大震災のニューズの嵐の中、こんなことを考えている。
 
 今、日本で、特に震災地域で、休むこと、ゆっくりすること、遊ぶことってフキンシンなことだろうか。
一千万人の夢見る乙女が最悪のホワイトディを過ごした…って言ったらフキンシンか。
 
 この文章をいつ公開するか、今は決めていないんだが…いや、やっぱり今じゃなきゃ意味が無い。
 
 この震災の中を旅行したり、フツー(と思われた?)に冗談を言ったり、あるいは平常通りの準スパムメールの類を流す者達は、なんだか居心地が悪いようだ。バラエティ番組を観る者しかり。馬鹿笑いする者しかり。金儲けに走る者しかり。
 いや別に私自身が何かやって、それをフキンシンだ、と言われたわけではないが、そこここでそんな話を聞く。「悲しみは共有しろ」ってのが日本人の気質と言うものか。何か派手なことは自粛して、日本人同士で見舞うことが当然だ、と言わんばかりの風潮にやや幻滅している自分が居る。
 
 これまでも何度か書いたが、私は「しらけた」世代である。つまるところ何かに熱中したり、誰かに同情したり、熱く語ったりすることに必ずアレルギー反応を示す。偽善的ではなくてもそう取れる行動には偽善的だ、と思ってしまう。冷めた、他の世代言うこところの、哀れな者たちである。
 
 某国営放送は常時、人の修羅場であるとか、「生きている」現場を報道し続けている。おそらくこれをリアルタイムで過ごす少年少女はさぞかし人心に篤い「立派な」世代になるだろう。
 ツライツライ避難生活。
 停電のあおりで減った電車に群がる者たち。
 太陽を与えられたサル共が、それを御しきれなくて遠巻きに騒いでいる姿。
 彼の地のヤンキー共がツラク「生きて」いる様なんぞ、想像すると笑えてしまう。(ああ、でもその手の映像は少ないね。>偏った報道者)
 
 いずれこの災害が遠回りながら自分に降りかかってくることはわかっている。しかし、どうしても冷酷な自分を消せない。国営放送がニュースを流す度にそんな自分が深まっていく。
 これを「疎外感」と感じるか、そうでもない。何も感じない、とまでは言わないが。ブラウン管、じゃなくってLCDの向こうのオナハシ…かな。これが現実のことだとは認識しているが、我が身のことじゃないのさ、って清清しく言ってのける自分が居る。
 「愛する」の反対語は「嫌う」ではなくて「無視する」だそうで、私は人を無視できる人間であることを自覚し続ける。
 社会的な自分は深刻な顔で「お見舞い」とやらを送る。でも、普段やらないことをやって「口だけね」と自嘲する。自分が被災者でもそう感じるのか。
 
 いつもよい子じゃいられない。
 隠れてよい子が最もクール。
 
 今、ここで同じ目に遭ったら…やはり私は何もしないんだろうか。
 生きることに必死な自分が想像できない。誰かと何かを取り合うために闘ったりとか???
 唯一、奥さんのためになら自分を曲げられる気がするが、生存競争では闘わずして負けそうだ。(ゴメン>奥さん)
 
 いやいやいやいや、だからテレビのバラエティ番組頑張れ、って言っているわけじゃない。あんなの観るのは最も無駄な、いや「馬鹿な」時間の過ごし方なのは確かだわ。放送止めて節電しな。あ、それをやっちゃ意味ないか。言い直そう。芸人に払う金があるなら被災地へ。報道機関は今、何を流すべきか考えな。それを観ていた者達はしっかり働け。これからこの国はしんどいぜ。
 
 
…でも、この災害を契機に、何か新しいこの国の価値観が生まれそうな気がしてワクワクしているのも確かなんだ。それを期待するのは…フキンシンかい?