最近の読書

 まあ、秋の夜長と言うことで、この一ヶ月半で十冊くらい読書した。
 読書、と言っても通俗小説で、ミステリ中心に、読んでみたら幻想小説だった、てのもあった(いつも言うけどポルノでは無いよ)。最近はその二つのジャンルを行き来する作家も多いから、読む側もその間にあまり高い垣根はない。元々ホラーも好きである。

 以前だったら気に入った作家の作品を連読するのが多かったが、今回は国内の数人の作品、中には初めて読む作家もあった。今や、音楽CDも一人のアーティストの作を十曲連続して聴く体力は無いのと同じだ。特に歌詞付きの奴は疲れる。

 私と同年代か、それ以下の作家が書いた本を読んだけど、ミステリの謎解きや、条理を不条理に当てはめる以外に考えることがある。

 この人はこの後も作家を続けられるか。

 文壇に一発屋は多い。いや、一発屋と言っても悪いイメージでは捉えないで欲しい。一作目を出すまでは無限に時間があるから、いきなり何かの賞をとる。しかし二作目以降に苦しむ人は多いのだ。雑文などの短文でしのぐ後、「作家」から単なる「出版関係者」、あるいは「ライター」と呼ばれる職業に変わる、即ち「先生」から一般の人に変わってしまう。まあ、そう言う意味ではしばらくその人の文章は残るのだから、厳密には一発屋とは呼べないかもしれない。
 でも、一冊も出してない私が、無理して小説を出せたとしても多分その道を辿るような気がする。

 一発屋の方々の作品が面白くないかと言うとそうではない。コネさえあれば、テレビの二時間ドラマのシナリオみたいな文でも活字になる中、賞を獲るにはそれなりの理由がある。むしろ中途半端にベテランになって文章にソツがなくなってくると、読後に何も残らない作家も多い。まあ、この辺りはある程度は出版社の赤が入るから、そちらにも責任はあるけど。

 多くの私小説、ノンフィクションでなくとも、作家の人生になぞらえたプロットをもつ小説は、なかなか面白くもあるが、悲しいはかなさを感じることも多い。私小説は深い。テーマに対する思慮が深いから当然だ。しかしその一作を出した後、その作家が何を糧に次作を出すのか。そこが職業作家とアマチュアの差である。賞を獲った後、その賞とは全く別のジャンルで有名になる人も、結局の所、苦しみ喘いだ結果であろう。出版社としてみればミステリや幻想小説の分野には新人が次々と出てくるので読者には新しい作品を供給し続けることができるが、作家にしてみれば人生の大きな岐路にもなる。
 今回読んだ中にもそんなことを思わせる作品が二つあった。何より、登場人物に作家の名前が付けられているのでよくわかる。どっちも面白かった。但し、感性のレベルでは同年代以下になってくると稚拙さを感じることもしばしばある。

 願わくば、その人たちが今後も発展的に深い小説を出しつづけられんことを。

※実のない雑文。失礼。