「反省してま~す」の「~」は誰が入れた

02142010
 またオリムピックの時期になった。この期間中、世界が平和でありますように。

 しょーもない話題だが、テレビで何とかと言うスノボの選手がやり玉に上がっているとか。
 「乱れた」服装と言われるズボンからシャツを出した状態でカメラに撮られ、それが放送され、何かの記者会見で「反省してます」と言って更に問題になったそうな。
 雨季に入ったかの地震被災地の話題に比べれば、全くどうでもよい話題である。でも誰かが言わなきゃならないなら私が言おう。

 とやかく言っている連中、顔を出せ。何がいけないのか具体的に説明して欲しい。

 二十一才であの程度しかない服飾センスを酷評するのならともかく、それを「乱れた」と言う連中の顔を見たい。
 そいつらを見たら私が言ってやろう。たぶんそれは「お前らに共通するハゲ頭が恥ずかしい」とか「お前らは揃いも揃って黒い髪だけで何とも思わないのか」なんて低レベルな言になるだろう。(因みに私の髪は少し赤い。)更に、じゃあお前がスノボに乗って金メダル奪ってこい、ってとこかな。

 そして、そう、許せないのはタイトルだ。
 随分昔、約一年日本を留守にして、帰って来たときに違和感を覚えたテレビ放送の冗長で中途半端なキャプションだが、このどうでも良い騒動の一つの原因はその中途半端さにある。そもそも「~」なんて文字は日本には(正式には)無い。単にJISで便宜的に決められた記号に過ぎない。それを公共の電波を使い、誤った用い方をして、要らぬ騒動を起こしているマスコミの責任は誰がとるのだ。そりゃ、私も使う。でもこんな微妙な言葉には妥協があってはならない。
 話の筋からは少々脱線するが、クローズドキャプションは話を忠実に、一言も漏らさず正確に入れなければならない。可能ならば物音もBGMも。脚色なんてもってのほかだ。でなければ、それを受け取る人を操作することになる。その権利は誰にも無いはずだ。今のこの国では。

 所詮オリムピックの選手なんて我々の知らない連中が勝手に決めて勝手に税金を使っていく。それに対してマスコミは誰の言を元に記者会見であのような質問をしたのか、なぜあのようなキャプションを付けたのかを明白にしなければならない。なぜなら、報道の対象者の顔を見せているのだから。そう言う偏った価値観を元に動く事自体間違っているし、それを公の声にしてよい、と納税者の私は言った覚えはない。
 AC広告機構、もとい、赤塚不二夫「風」に言えば「こいつは、こいつで良いのか?(本当に?)」


 ま、振り返って見れば私の一連の文章には体制批判とも言える部分が散見される。特にマスコミへの目は厳しいようだ。
 でも私は自分を「ノンポリ」と言えるほども政治を知らないのは事実だし、また、切り取る部分も自分の文章に都合の良いところだけであることも自認しているつもりだ。

 私は事実を、ありのままに伝えて欲しいだけである。

 そのためには全てを「素の」状態、誰の先入観にも汚されない情報を入手したいと思う。特にマスコミ批判が多いのは、彼らが大きな力をもっているからであり、それに対してこのネットと言う、最も簡単に個人が声を公にできる媒体を通して自分の考えを述べるまでである。

 常識をまず外そう。
 ちっぽけなこの国で培った既成概念なんて意味が無い。
 声のでかい奴を疑うんだ。

 残して許されるのは、自分の知識と経験にのみ裏付けられた評価基準である。そしてそれが私の「レベル」なのである。それを人がどう評価しようが、それが私の「レベル」だ。
 そのレベルを隠蔽し、誰かの声、と言うことにしてしまったのが今回のマスコミの「レベル」である。