制限速度を上げよう

 あまり大きな取扱いではないが、09/04/02(この原稿を書いている時点では今日だが)警察庁の検討委員会が生活道路は時速30km以下とするなど、道路の特性に合わせた制限速度を設定するよう提言したとの事。

 いつものように斜め下を読んでみる。
 年間4000人ペースの人命を減らすための、極めてコストパフォーマンスの悪い税金の使い方である。三万人の自殺者を防ぐのとで、どちらが急務なのだろうか。ん?それとも何か、自殺者は元々社会にたいした影響を与えない、与えるとしても悪影響(借金返済の滞りとか)だけとか言いたいのだろうか。いや、敢えてここはその人員シフトの議論には目をつぶろう。

 まず、誤解の無いように言っておこう。道路の特性に応じた合理的な制限速度の設定、大いに賛成である。

 ただ、出てくる実際の数値を「低め」とするよう示唆していることが合理的とは思えない。そしてそうなら、なぜ今更そんな金を使って議論するのだろうか。新しいものは何もない。

 今更言うまでもないだろうが、人間は「急ぐ動物」である。だから私の提案は;

 制限速度を上げよ。

 だ。年齢、いや運動能力や体調により制限速度を決定する、でも良い。合理的だ。
 誰だってそんなことは思いついているだろうに、そんな発言はご大層な「委員会」ともなればタブーなのだろうか。もしそんな雰囲気のある委員会ならいらん。また、取り締まりができないから運動能力別の設定は無理、なんて言うのは本末転倒の議論である。取り締まり方法は二の次の議論だ。

 今、エコがこれだけ騒がれているにもかかわらず、渋滞が最もエネルギーの浪費とは考えないのだろうか。確かに何パーセントかは交通事故者は増えるだろう。そしてその被害者が私自身になる可能性を考えても敢えて言いたい。しかしこの委員不詳の(だってそれは報道してない)委員会は道路の凹凸で速度を上げにくくする、なんてのを「新しい提言」と思っている節もある。
 逆である。急がせるために道路を良くしているのだ。地面を荒らすために税金を払っているのではない。第二次産業が血の滲むような苦労をして1ccの燃料消費を抑えても、この委員会の提言一つですべては無駄になる。人の本能の何たるかを認識せず、クルマの本質は何かを考えず、そして化石燃料を卒業できていない現実を見ずに、事なかれ論のみで結論を出したとしか思えない。

 このような委員会とは本来担当部署を越えた視点から議論し、そして日本全体のことを考えた政策を探るために結成されるもののはずだ。この警察庁の委員会、招請した人は交通事故関係の人で、実直に自分の業務を遂行しただけかも知れぬ。だからこのような委員会が不要だとは言わないが、招請された側の意見に合理性が感じられない。

 まあ、当事者から自殺者の議論は交通事故防止とは関係ないじゃないか、との反論は免れないかも知れない。でもそれなら更にその人の上の人に言いたい。自殺者を助けるのは、交通事故の発生件数を抑えるより難しい。しかしそれに挑まずして「良き国」が作れるのか。一人でも多くの人が意欲的に生きようとする社会、それを望むのは無理なのか。>¨全体の奉仕者¨諸君。
 
※亡国(…でもいいか)のミサイル騒ぎの最中にこんな投稿ができる国民も幸せ…なのかな。