柔道競技って

20080814 古くからの柔道競技論
 まあ、私も人並みにオリムピックの番組を見たりする。次から次へとつながりの無い競技をベルトコンベア式に目の前に流されている感もあるが、かの地に行かずして特等席で見られるわけだから特に文句も無い。
 様々な競技でメダルの期待が飛び交っているが、中でも日本の国技として、柔道にかける期待は大きいようである。前々から思っていることであるが、この「競技」は良くわからない。それをやっている選手がどうのこうのと言うわけではない。柔道を、あくまで「格闘技と見做した上で」、この競技に苦言を呈する;
(1)胴着の乱れ具合が見苦しい。
 そもそも競技の成立をユニフォームに依存すると言うのは他の競技には無い。オリムピックは元々全裸で行うものだったと聞く。格闘技にあるまじきルールである。何より見苦しいほど有利にはたらくと言うその矛盾が、理解できない。最近は審判もなかなか着用の指示を出さないし、襟の硬さや布の厚さに非常に神経を尖らすくせに、帯を締める強さには制限が無い。(たいていだらけてぶら下がっているだけだ。)
 無論この苦言は、柔道の技が、その胴着の構造を前提にしなければ成り立たないことを理解した上で言っている。では倒さなければならない相手は、いつも柔道着を着ているのだろうか。裸でも相手を倒せるのが格闘技では無いのか。
 私にはレスリングの方が競技としての完成度が高く見える。
(2)寝技の意味が良くわからない。
 数十秒押さえ込んだだけで相手を倒したと見做すのはいかがなものか。締めこんで相手が窒息する危険性があるのならともかく、体重を生かして相手を押さえ込んだだけではダメージは与えられない。最初から寝技を狙っていくなどとは柔道家にあるまじき心得である。
(3)有効・技ありの意味がわからない。
 初心者にありがちの質問だろう。しかし昨今の柔道「競技」では相手への指導・注意の回数で勝ち負けが決まる事が増えてきた。柔道は評価点で決まる競技ではないはずだ。今回のオリムピックでは日本選手は一本勝ちが多くて気持ちの良い試合が見られるが、この際、時間無制限の一本勝ちのみに絞ってはどうだろうか。

 そもそも格闘技を競技種目とした瞬間、それが格闘技ではなくなるのは致し方ないだろう。しかし格闘技は相手を倒すのが存在意義である。競技にすると言うことは、相手を殺してしまわぬうちに勝敗を決める枠組みを行うことであろう。でも「柔道」の名を冠する以上、その枠組みは格闘技としての存在理由をないがしろにしてはならない。ドラスティックな見直しも必要ではないだろうか。負けないことだけを追求するような競技はつまらない。

「Speedo社に柔道着を作ってもらったら?」