ジャパニメーションの凋落

 ジャパニメーション、なんて言葉が使われ始めてもう二十年以上経つ。しかしながら、最近の台湾-中国の台頭著しく、それも死語となりつつあるようだ。私は漫画やアニメを語るほどこの業界に通暁しているわけではないが、先日もハリウッド映画のアニメシリーズ版(制作会社は日本の超大手)を観て非常に落胆した。
 アニメと言ってもそれぞれの会社が追求するスタイルと言うものがあるだろう。しかし、ハリウッド映画を観た人たちは、実写以上の出来を期待する。そういう意味で制作会社の底の浅さを思い知った。例えば未だに1999年のマトリックスの効果を超える視角は無いし、効果も無い。手塚アニメの至らなかった点は未だに放置されたままである。アニメの強みはあらゆる舞台セットが安価に使えることである。最近の映画とアニメの間にCGがあり、それはどちらの作品にも使用される。しかしながら相変わらず手描きの人物の髪は揺れないし、CGよりもリアリティもしくはリアリティ以上のリアリティを追求する姿勢が見られない。その努力は映画、CGの制作会社の方がはるかに精力的である。

 アニメーションの、特に効果を担当する人であれば、実写化できない程の引き出しは持ってなくちゃ。

 何を表現したいのかは現実には監督が決めるが、全てのクリエイタはそれを助ける創造性を発揮し、まだ誰も見たことの無いアニメーションを見せつける、そんな作品が作れるのは最早限られた大手だけかな。そんな心意気のある人が然るべき役を担えたなら、小さな会社にだってジャパニメーションの価値を世界中に発信することは可能だと思う。
 いや、うちはほのぼの路線なんだ、とか話の内容で大人もうならせるんだ、とか言うカラーは必要だろう。しかし、求められたときにそれをこなせないのでは「それしかできない」と言ってるようなものだ。
 
 もちろん、シリーズ物の制作の大変さは素人の窺い知るものではないし、いつもそんなレベルを要求しているわけじゃない。けれどこれこそがジャパニメーションだ、と言う作品が年に一作も出せないとしたら、エンドロールに外国の方々の名前が増えるのもしょうがないね。
 
 これは日本のアニメーション業界の方々への檄文だよ。